田臥勇太のバッシュは?嫁の噂と中学とNBAの記録や名言も紹介!

バスケットボールが好きなら恐らくほとんどの方が知っている「田臥勇太」

あなたがもしバスケットに詳しくなかったとしても名前だけは聞いたことがあると思います。

 

田臥勇太選手は日本のプロバスケットボールリーグであるBリーグのリンク栃木ブレックスに所属しています。

2004年にはNBAのフェニックス・サンズに入団し、試合に出場した日本人初の選手でもあるんですよ。

 

私は当時NBAのコートでプレイした田臥勇太選手を生中継で見ていたので、とても興奮したのを覚えています。

 

そんな田臥勇太選手の名前やプレイは知っていても、意外に細かいことは知らなかったりしますよね。

どんなバッシュを履いてるんだろ?とか、お嫁さんはいるの?など、気になるところを調べてみました。

 

中学の時から注目されていた田臥勇太選手なのでNBAに至るまでどんな記録を出したのか、また名言も色々あるので紹介しますね!

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田臥勇太のバッシュはこれだ!

田臥勇太選手のことをよく知らないというあなたのために、少しプロフィールを紹介しましょう!

 

名前:田臥勇太(たぶせゆうた)

生年月日:1980年10月5日

出身:神奈川県横浜市金沢区

出身校:大道中学→能代工業高校→ブリガムヤング大学ハワイ校(中退)

身長:173cm

 

田臥勇太選手の履いているバッシュってバスケットボールをやっている人だと結構気になりますよね?

バスケットボールをやっていない人だと全く気にならないという人も多いでしょうけど(笑)

 

私はバスケットボールをやってましたし、田臥勇太選手と同じポイントガードってポジションだったので気にはなりますね。

そこで、田臥勇太選手のバッシュが何かを調べてみましたよ!

 

田臥勇太選手は基本的にはNIKEのバッシュを履いています。

今に限らず昔からNIKEのバッシュの愛好家だったようですね。

 

で、現在はどのバッシュを履いているかというと、このバッシュです!

 

「NIKE ハイパーダンク2014」を履いています!!

 

田臥勇太 バッシュ

 

ポイントガードにしては珍しいハイカットのモデルですね。

同じバスケットボールプレイヤーの富樫勇樹選手は「ポイントガードはハイカットは履かない」と全否定してました(笑)

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残念ながら田臥勇太選手が履いているモデルは今では売ってないようです。

ハイパーダンクはモデルが新しくなるので2014バージョンは無いみたいですね、買いたかった方すみません!

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田臥勇太にお嫁さんがいる噂は本当か?

これだけ注目されている田臥勇太選手ですから、当然のごとくお嫁さんがいそうですよね。

そこでお嫁さんについて隈なく調べてみました!

 

そして分かりました!!

独身です!

 

拍子抜けしましたか?(笑)

モテそうな田臥勇太選手なので結婚してお嫁さんと暮らしているのかなと思ったんですけど独身でしたね。

 

ただ、浮いた話が無かったわけではなくて、実は元テレビ朝日のアナウンサーである「前田有紀」さんと6年もお付き合いしていたようなんです。

前田有紀さんの画像はこちら

 

残念ながらお別れしてしまい、前田有紀さんは2015年に一般の方と結婚されました。

前田さんってとても可愛らしくて性格の良さそうな女性なのでもったいない気もしますけどね。

 

田臥勇太選手としてはバスケットに集中したいとかそんな理由だったのでしょうか。

プライベートでの幸せな姿も見てみたいですよね。

 

田臥勇太の中学からNBAまでの記録や名言を紹介!

田臥勇太選手と言えば、中学の時から頭角を現して大変注目されたプレイヤーなんです。

後に日本人初のNBAプレイヤーとなりますが、そこに至るまでどんな記録を出してきたのでしょうか?

田臥勇太選手の名言と一緒に紹介しましょう!

 

田臥勇太選手はNBA好きだった父親の影響もあり、小さい頃からNBAの映像を何度も見ていたそうです。

小学校では全国大会に3度出場し、1993年には横浜市の大道中学に進学します。

 

大道中学でもその活躍はめざましく、中学3年の時には大道中学バスケ部創設以来初の全国大会ベスト4となります。

その頃から田臥勇太という名前は有名だったようですね。

 

高校は地元ではなく、秋田県の能代工業高校に進学します。

能代工業は全国大会の優勝40回を超える超名門校で、日本代表選手も数多く輩出している高校でした。

 

その能代工業で田臥勇太選手は今後破られないであろう、とてつもない記録を打ち立てます

それは、「高校総体」「国体」「全国高校選抜」3大タイトルを3年連続で優勝し、史上初の9冠を達成してしまうんです。

 

田臥勇太選手は1年生の頃からレギュラーですから、単に部活に所属していて先輩たちの代から継続して優勝したというわけではないので本物の9冠なんです。

 

大学では、日本の大学を選ばずにアメリカの「ブリガムヤング大学ハワイ校」へ進学しましたが、これといった記録も打ち出せずに苦労したようですね。

2002年に日本に帰国後は、日本の「トヨタ自動車アルバルク」に入団して大活躍します。

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チームは準優勝して、田臥勇太選手は新人賞を受賞。オールスターではファン投票1位で選出されました。

 

これまで素晴らしい記録を打ち立てた田臥勇太選手ですが、日本での活躍を置き土産にNBAへと挑戦します。

2004年にNBAのフェニックス・サンズと契約しNBAのコートに立つことになりますが、4試合出場でプレイ時間17分、7得点、3アシストという記録を残し同年に解雇されます。

 

あの田臥勇太選手でも1年間まともにプレイできず、たった4試合の出場で解雇されるというNBAの世界は本当に壮大な場所だなと感じますね。

 

そんな田臥勇太選手は色々な名言も残しています。

トッププレイヤーであるからこそ、重みのある言葉は胸に刺さりますよね。

 

田臥勇太選手の名言をいくつか紹介したいと思います。

 

何事に関しても「やるぞ!」って決めて、それにとことんエネルギーを費やすことが大事。

 

周りからは、けなされ「無理だ」って言われてた。でも他人に自分の限界を決めさせたくなかった。

 

何万回もパスをし、何万キロもドリブルして、何万本もシュートを打って、何十足もバッシュを履きつぶし、僕はアメリカのコートに立った。でも、僕の旅は終わりじゃない。これは始まり。

 

他にもたくさんの名言があるんですけど、どの言葉を取っても本当に響く言葉ですよね。

 

まとめ

さて、田臥勇太選手のことを色々と調べてみましたが、田臥勇太選手のことを少しでも興味を持ってくれましたか?

もしあなたが興味を持ってくれたのなら嬉しいです!

 

田臥勇太選手の今後の活躍にも大いに期待したいですね!

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